富士見コンドルスあゆみ
 
1973年(S48) 宮崎義正氏の私設チーム「コンドルス」として発足。(代表 宮崎義正氏)
1976年(S51) 「富士見コンドルス」と改称。富士見市少年野球連盟に加盟。
1977年(S52) 市内大会で初優勝ほか各大会で好成績を納める。(代表 宮崎義正氏から田崎清記氏に)
1985年(S60) (代表 田崎清記氏から小高義和氏に)
1989年(S64) 15周年記念事業を挙行。
1997年(H09) (代表 小高義和氏から坂本由之氏に)
1999年(H10) 25周年記念事業を挙行。
2003年(H15) 30周年記念事業を挙行。
 
 
あ ゆ み
1973年、水谷小学校から分離開校した水谷東小学校をホームグランドとし、宮崎義正氏の私設チームとして発足。
水谷小は開校したものの、まだ校舎、校庭は完成しておらず、道路や荒川河川敷きなどを転々として練習する放浪チーム。
同年11月に校舎、校庭が完成するものの校庭は整備不良で、満足な練習ができるまでには更に一年を要した。
校長先生による手作りバックネットも完成した。
3年後、市内大会で初優勝を飾るなど強豪チームに成長。
部員数も急激に増えた為、宮崎氏の私設チームを脱し、「富士見コンドルス」は新時代を迎えた。
その後、数々の大会で優勝や好成績を上げ、延べ1,500人近い卒業生を送り出しているが、その中から中学、高校、大学の野球部で活躍する選手を多数輩出。
甲子園大会に出場した選手も10指に余る。
近年、高齢化、少子化が顕著な地域にあって、2002年度は春の東入間大会に於いてAチーム(高学年)が3位、ジュニアサンデーと混成チームで挑んだCチーム(低学年)は春の市内大会で3位、ゴールデンイーグルスと混成チームを組んだ秋の市内大会でも3位に輝いた。
さらに、秋の市内お別れ大会でもAチーム(高学年)が3位の成績を納めた。